【公式】聖学院中学校・高等学校
正解のない世の中で、手を使って考える、共に創り共に学ぶという姿勢にどのような意味や価値があるかを考える
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116年目の創立記念日を迎えました。 今年は、イエス様とペテロのやり取りから聖学院の創立について考えます。 イエス様が弟子たちに聞きます。 人々は私のことをどう言っているのか。 弟子たちは口々にイエス様の評判について報告をします。 それを聞いた後に、イエス様は聞きます。 「で、あなた達は私のことを何者だと言うのか」 人が世界をどう見ているのか。 人の言葉。人の評価。 私たちはそれを参考にします。勉強もします。 人の言葉を沢山、蓄えます。 それで物知りで、勉強のできる立派な
「手」「足」が自分をつまずかせるなら、それを切り落とせ。 「目」が自分をつまずかせるなら、それをえぐり出せ。 体の一部を失っても、命にあずかる方が良い。 もちろんこれは比喩ですが、とても厳しいイエス様の言葉です。 この言葉が私たちに伝えたいと思っているものはなんでしょうか。 「つまずき」 行こうとしてる者を阻む。 進もうとしているものを倒す。 そのような意味でしょう。 イエス様は人をつまずかせるものは深い海に沈められる方が良い、と言います。 極端な言い方ですが、意味は分
私たち聖学院は「祈り」を大切にしています。 学校生活の様々な場面で「祈り」は行われます。 「祈り」とは何でしょうか。 「祈り」とは神様とお話をすることだとも言われます。 感謝、願い、献身、そのようなものが祈りの要素にはあるとされています。 こんなことが嬉しかった。 こんなことを思っています。 お話をする時に、こちら側の情報を相手に提供するということです。 そうだとすると、今日、読んだ聖書のイエス様の言葉を私たちはどのように受け止めたらいいのでしょうか。 「父は願う前から、あな
家族を敵対させる。 およそイエス様の言葉とは思えないようなことが語られています。 ですが、ここには大切なことが記されています。 私たちは、この言葉を聞いて「ひどいことを言う」と思います。 それはどうしてでしょうか。 家族は敵対しないもの。 家族は仲良くするもの。 それが絶対だと思っています。 イエス様は家族を捨てて私に従え、と言います。 ただ、私たちは従いたくても、イエス様はもういません。 何をどのようにすればイエス様に従うことになるのか分かりません。 分からなくて良いの
2学期が始まりました。 この学期も私たちが取り組むこと。 Only One、 本当の私 私が神様からいただいている賜物とは何だろう。 それを探すことです。 ただ、その賜物がなかなか見つけられないのは私たちがすでに経験をしていることです。 今日の聖書はなかなか見つけられない賜物ですが、 その賜物にはこういう性質がありますよと、ヒントを与えてくれるものです。 聖書の物語です。 4000人の群衆 お腹をすかせています。 弟子たちの提案は、群衆を解散させましょう、でした。 バラバ
2011年。震災、津波、メルトダウン。 2020年。新型コロナウィルス蔓延。 2022年。ロシア、ウクライナ侵攻。-要人暗殺。 私たちの世界は大きな体験をしてきている。 多くの命が奪われている。 奈良で起こった狙撃は思想信条の主張ではないとも聞く。 「民主主義 vs 暴力」 この図式すら当てはまらない闇を感じる。 これまで「大切」「重たい」と私たちが思ってきたものが 「軽く」扱われ、無価値なものへと転換されていく。 創世記には人類創生の神話がある。 何不自由なく暮らしてい