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校長ブログ 平和ではなく剣を(9月17日全校礼拝にて)

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。
 人をその父に、
 娘を母に、
 嫁をしゅうとめに。
こうして、自分の家族の者が敵となる。
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

新約聖書マタイによる福音書 10章34~39節


家族を敵対させる。
およそイエス様の言葉とは思えないようなことが語られています。
ですが、ここには大切なことが記されています。
私たちは、この言葉を聞いて「ひどいことを言う」と思います。
それはどうしてでしょうか。
家族は敵対しないもの。
家族は仲良くするもの。
それが絶対だと思っています。

イエス様は家族を捨てて私に従え、と言います。
ただ、私たちは従いたくても、イエス様はもういません。
何をどのようにすればイエス様に従うことになるのか分かりません。

分からなくて良いのだと思います。
大切なのは「イエス様に従おう」
私たちが、そのように考えた時に起こる心の持ち方です。

イエス様に従う。
これを行おうとするなら、私たちは、家族よりも、もっと大切なものがある、と思い始めなければならないでしょう。
家族は絶対ではない。
家族を相対化することです。

これに続く「自分の十字架を背負って、私に従え」
というイエス様の言葉も同じ意図があると思います。
私は正しい。
私は絶対。
そう思っていては自分の失敗を背負うことはできません。
私なんてこんなものだ。
自分を相対化する。
その時、自分の失敗は、「はい、それ、私のです」
と背負うことができるのでしょう。

自分についてもそうです。
家族についてもそうです。
「敵対させる」と強い表現になっていますが、別に家族を憎まなくても良いのです。
大好きなままで良いのです。
こんなことして。
こんなことしでかして。
愚かだけどかわいい。

変なこと、おかしなことを家族は言います。
私に対して行ってきます。
それが私の世界にすべてではありません。
沢山ある存在の中のひとつです。
愚かだけどかわいい。
家族に対しても、自分に対してもそう思う。
それは多分、笑っちゃうということだと思います。

怒らず、悲しまず、絶望せず、笑っちゃう。
自分にも、家族にも、他者に対しても。

それは私たちのスクールモットー Only One とも関係します。
自分も含めて、あらゆるものに笑っちゃえる。
心が誰にも乗っ取られていない状態でしょう。
その心が本当の私を見つけられるものになるのでしょう。
笑っちゃう、ゆとり。
心を整えて今日も過ごして行きましょう。

聖学院中学校・高等学校
中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
聖学院は、一人ひとりが神からかけがえのない賜物を与えられているという確信に基づき、それぞれ固有な賜物を発見することを助け、個人の人格の完成へ導く教育をします。聖学院教育はナンバーワン教育ではなく、オンリーワン教育であり、そしてそれはオンリーワン・フォー・アザーズ(他者のために生きる個人)の教育です。

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