聖学院中学校高等学校

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  • 校長ブログ

    聖学院HPで連載中の校長ブログをまとめています。ぜひご覧ください。 https://www.seigakuin.ed.jp/news_cat/blogs/

  • 聖学院高等学校GICの教育レポート

    2021年に高校課程に開設された「Global Innovation Class」では、「ものづくり」「ことづくり」を通して世界に貢献できるグローバルイノベーターを育成するため、Liberal Artsをベースに、STEAM、Immersion、Projectの3つを柱にした教育を展開。STEAMでは、教員が提供したものを生徒が受け取る提供型の授業ではなく、新しいデザインの手法や在り方、表現を模索するため、教員と生徒が一緒になって授業づくりをする共創型の授業を実践。

  • 聖学院中学校Global Innovation Lab

    正解のない世の中で、手を使って考える、共に創り共に学ぶという姿勢にどのような意味や価値があるかを考える

  • 聖学院中学校高等学校生徒会

    🔹聖学院生徒会「Tenacious SSC」の公式note 🔹ブログ投稿で活動の様子や聖学院の魅力を発信 🔹中学テーマ「#聖学院に改革を」 🔹高校テーマ「Brush Up!!」

最近の記事

校長ブログ 神様は私たちを期待しています(11月30日全校礼拝にて)

今日は高校3年生にとっては毎朝の礼拝としては最後の全校礼拝になります。 その礼拝で特に3年生に考えてほしいことをお伝えします。 イエス様のたとえ話を読みました。 王様に借金のある家来。 どうしても返済することができず王様に泣きつきます。 憐れに思った王様は借金を帳消しにします。 その家来、帰りがけにお金を貸している友人に出会います。 借金を返せと迫り、友人が準備はないと告げると牢役人に引き渡してしまいます。 そのいきさつを知った王様が、その家来を呼び寄せ、どうして私と同じよ

    • 校長ブログ 「迷い出た羊」から、自分にしがみつく自分に気づく(11月12日全校礼拝にて)

      一人くらいいなくなっても良いだろう。 あいつがおかしいのだから、仲間でなくても良いだろう。 別れても良い。 私たちは、そう考えます。 イエス様が語った「百匹の羊」のたとえ話。 一匹が迷い出たら、飼い主はその一匹を捜し回る。 見つかったら大喜びをする。 神様はそうなんだよ、と言います。 一人も欠けない。 ひとつになる。 これが難しいことを私たちは知っています。 どうして難しいのか。 聞く耳を持たないものがいるから。 自分が正しいと信じ込んでいるものがいるから。 そういう

      • 聖学院高等学校Global Innovation Classの教育レポート

        2021年度よりスタートしました高校新クラス、グローバルイノベーションクラス(通称:GIC)の教育活動をまとめていきます! Global Innovation Class 学校HPコネクテッド・インク東京2023に参加哲学-メディア-藝術ゼミでの哲学対話高1・2年生による『Project Week』中間発表会「高校生映像アワード」全国決勝進出!(7/24 14時~日本テレビ放送)ブルシット・ジョブとエッセンシャルワークの価値の転倒を見つめ、因果関係を解決する卵テンペラを体験

        • 校長ブログ 【創立記念礼拝メッセージ】イエス様とペテロの問答から聖学院創立を考える

          116年目の創立記念日を迎えました。 今年は、イエス様とペテロのやり取りから聖学院の創立について考えます。 イエス様が弟子たちに聞きます。 人々は私のことをどう言っているのか。 弟子たちは口々にイエス様の評判について報告をします。 それを聞いた後に、イエス様は聞きます。 「で、あなた達は私のことを何者だと言うのか」 人が世界をどう見ているのか。 人の言葉。人の評価。 私たちはそれを参考にします。勉強もします。 人の言葉を沢山、蓄えます。 それで物知りで、勉強のできる立派な

        校長ブログ 神様は私たちを期待しています(11月30日全校礼拝にて)

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          校長ブログ 自分をつまずかせる「手」「足」「目」を切り離す(10月29日全校礼拝にて)

          「手」「足」が自分をつまずかせるなら、それを切り落とせ。 「目」が自分をつまずかせるなら、それをえぐり出せ。 体の一部を失っても、命にあずかる方が良い。 もちろんこれは比喩ですが、とても厳しいイエス様の言葉です。 この言葉が私たちに伝えたいと思っているものはなんでしょうか。 「つまずき」 行こうとしてる者を阻む。 進もうとしているものを倒す。 そのような意味でしょう。 イエス様は人をつまずかせるものは深い海に沈められる方が良い、と言います。 極端な言い方ですが、意味は分

          校長ブログ 自分をつまずかせる「手」「足」「目」を切り離す(10月29日全校礼拝にて)

          校長ブログ 聖学院は「祈り」を大切にしています(10月5日全校礼拝にて)

          私たち聖学院は「祈り」を大切にしています。 学校生活の様々な場面で「祈り」は行われます。 「祈り」とは何でしょうか。 「祈り」とは神様とお話をすることだとも言われます。 感謝、願い、献身、そのようなものが祈りの要素にはあるとされています。 こんなことが嬉しかった。 こんなことを思っています。 お話をする時に、こちら側の情報を相手に提供するということです。 そうだとすると、今日、読んだ聖書のイエス様の言葉を私たちはどのように受け止めたらいいのでしょうか。 「父は願う前から、あな

          校長ブログ 聖学院は「祈り」を大切にしています(10月5日全校礼拝にて)

          校長ブログ 平和ではなく剣を(9月17日全校礼拝にて)

          家族を敵対させる。 およそイエス様の言葉とは思えないようなことが語られています。 ですが、ここには大切なことが記されています。 私たちは、この言葉を聞いて「ひどいことを言う」と思います。 それはどうしてでしょうか。 家族は敵対しないもの。 家族は仲良くするもの。 それが絶対だと思っています。 イエス様は家族を捨てて私に従え、と言います。 ただ、私たちは従いたくても、イエス様はもういません。 何をどのようにすればイエス様に従うことになるのか分かりません。 分からなくて良いの

          校長ブログ 平和ではなく剣を(9月17日全校礼拝にて)

          校長ブログ 【始業式メッセージ】2学期を迎えてーマタイによる福音書15章32~39節よりー

          2学期が始まりました。 この学期も私たちが取り組むこと。 Only One、 本当の私 私が神様からいただいている賜物とは何だろう。 それを探すことです。 ただ、その賜物がなかなか見つけられないのは私たちがすでに経験をしていることです。 今日の聖書はなかなか見つけられない賜物ですが、 その賜物にはこういう性質がありますよと、ヒントを与えてくれるものです。 聖書の物語です。 4000人の群衆 お腹をすかせています。 弟子たちの提案は、群衆を解散させましょう、でした。 バラバ

          校長ブログ 【始業式メッセージ】2学期を迎えてーマタイによる福音書15章32~39節よりー

          校長ブログ 何が起ころうとしているのか。

          2011年。震災、津波、メルトダウン。 2020年。新型コロナウィルス蔓延。 2022年。ロシア、ウクライナ侵攻。-要人暗殺。 私たちの世界は大きな体験をしてきている。 多くの命が奪われている。 奈良で起こった狙撃は思想信条の主張ではないとも聞く。 「民主主義 vs 暴力」 この図式すら当てはまらない闇を感じる。 これまで「大切」「重たい」と私たちが思ってきたものが 「軽く」扱われ、無価値なものへと転換されていく。 創世記には人類創生の神話がある。 何不自由なく暮らしてい

          校長ブログ 何が起ころうとしているのか。

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第24回

          時空とは仮言命題です。 他のものと比較、依存して、時間も空間も成立します。 更にヨハネ福音書を読み解くために、もう少しだけ表現を補足させてください。 時間、空間とも「差異」が必要です。 差異を「距離」「隙間」「ディスタンス」としてください。 サマリアの女の質問は「この山ですか、エルサレムですか」です。 こことあそこは違う。 ディスタンスありますよね、との問いかけです。 このディスタンスに優劣をつけるとしたらどちらですか、という問いです。 イエスの答えは時間でした。 それも「今

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第24回

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第23回

          I am 何にもすがらない「私」 私は私 対称性 何やら分かるような、分からないような話が続いていますが、聖書は、ひも解けばひも解くほど、複雑怪奇、それでいて単純なものを語っているものと思います。 単純だけで複雑。 その聖書をもう少し読み解いてみましょう。 引きつづきヨハネ福音書です。 I am を多用するヨハネ。 その下敷きには「定言命題」があります。 その定言命題を別の表現で語っているものを今回は取り上げます。 イエスがサマリアの女と対話をする場面があります。 物語

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第23回

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第22回

          なぜヨハネ福音書は I am を強調するのか。 ヨハネの世界観があるからです。 依存しない。 支配されない。 それで世界は成り立つ。 「私」という個人も同じです。 I am の次に来る述語を私たちは頼りにしようとします。 そこへ立派なものを代入できるように努力します。 述語に依存します。 いつの間にか述語に支配されてしまいます。 不自由です。 世界は、人は不自由なのか。 私は不自由、奴隷のままの一生なのか。 違う。 ヨハネの答えです。 人は本来、自由だ。 依存も、支配もな

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第22回

          校長ブログ 「母の日」とカーネーション

          5月の第二週の日曜日は「母の日」です。 この起源は諸説あることは承知していますが、そのひとつは教会に由来するものです。 アンナ・ジャービスが母アンを偲んで母をよく知る教会の人々に礼拝の後カーネーションを配ったことが、その起源とされるものです。 アン・ジャービスは社会活動に参加をする女性でした。 特に南北戦争の時は中立を保つ働きをしていました。 そのひとつがどちらの兵士であろうと負傷したものを分け隔てなく養護したというものです。 この母を思ってアンナはカーネーションを配ります

          校長ブログ 「母の日」とカーネーション

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第21回

          I am に込められたヨハネの思いはどのようなものなのか。 前回からの続きなります。 am に続く述語 私たちはこの述語に引っ張られます。 述語に支配されているのですから、これは仮言命題です。 ならば I am で終わっているエゴウ、エイミーという形 これは「定言命題」なのではないかと見当がつきます。 では、どうしてこれは定言命題なのでしょうか。 ヨハネ福音書の実際の物語において確認をしてみましょう。 この I am は頻繁に登場すると言いましたが、これはほとんどの場合

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第21回

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第20回

          このシリーズの投稿が少し時間が空きました。 年度の始め、なかなか執筆にとりかかれないでいました。 再開をします。 ヨハネ福音書を記した作者は「定言命題」を知っている。 その立場からお話しを進めていきましょう。 前回は「ロゴス」について記しました。 「ロゴス」 第一原因。 何にも依存していないもの、支配されていないもの、それが世界を造っている。 ヨハネの世界観です。 そこには私たち「人」も含まれます。 私たちもロゴスである。 何にも支配されていない、依存しないで立っていける

          校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第20回

          校長ブログ 2022年度入学式によせて

          創世記1章1~3節 聖学院での生活が始まりました。 この聖学院はどんな学校なのか。 学校の名前にそれは表わされています。 「聖学」の院。 聖学とは聖人を生み出すことです。 聖人を育てる。 それが聖学院です。 聖人を今はOnly Oneと表わしています。 Only Oneを私たちは「本当の私」と翻訳しています。 「本当の私」と出会う。 聖学院で経験してほしいことです。 本当の私と出会う。 そのために私たちが考えなければならないことは何か。 それを今、読んだ聖書からひも解い

          校長ブログ 2022年度入学式によせて