【公式】聖学院中学校・高等学校
正解のない世の中で、手を使って考える、共に創り共に学ぶという姿勢にどのような意味や価値があるかを考える
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このシリーズの投稿が少し時間が空きました。 年度の始め、なかなか執筆にとりかかれないでいました。 再開をします。 ヨハネ福音書を記した作者は「定言命題」を知っている。 その立場からお話しを進めていきましょう。 前回は「ロゴス」について記しました。 「ロゴス」 第一原因。 何にも依存していないもの、支配されていないもの、それが世界を造っている。 ヨハネの世界観です。 そこには私たち「人」も含まれます。 私たちもロゴスである。 何にも支配されていない、依存しないで立っていける
創世記1章1~3節 聖学院での生活が始まりました。 この聖学院はどんな学校なのか。 学校の名前にそれは表わされています。 「聖学」の院。 聖学とは聖人を生み出すことです。 聖人を育てる。 それが聖学院です。 聖人を今はOnly Oneと表わしています。 Only Oneを私たちは「本当の私」と翻訳しています。 「本当の私」と出会う。 聖学院で経験してほしいことです。 本当の私と出会う。 そのために私たちが考えなければならないことは何か。 それを今、読んだ聖書からひも解い
ヨハネ福音書を記した作者は定言命題の実践を解いている。 Only Oneを見つけるヒントを語っている。 どこにそれがあるのか。 私たちがこれから行う作業です。 さっそくヨハネの言葉から考えることにいたしましょう。 ヨハネ福音書の始まりを見てみます。 「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」 「言」という独特の表現が出てきます。 ヨハネ福音書はギリシャ語で記されています。 「言」となっているものは「ロゴス」と原文では表わされています。 ギリシャ語の
戦争が始まった。 それぞれの主張がある。 自国の主権を守るため軍隊を派遣する。 それに応戦する。 聖書は一見、おとぎ話のような神話でつづられている。 だが、その背景には戦争がある。 敗戦の体験がある。 なぜ戦争が起こるのか。 神話は語っている。 自分には足りないものがあると思っているから。 自分のものを誰かが奪おうとしているから。 自分の今が不十分。 不十分が自分を飲み込もうとしている。 自分を不安がっている。 自分に安心できない。 そのためにアダムとエバは知識の木の実
聖学院が大切にしているOnly One それは「聖書の思考回路」から来ています。 聖書の思考回路が私たちの中で動き出すとOnly Oneを見つけることが出来る。 ここまで、そういうお話しをしてきました。 聖書の思考回路は「定言命題」を下敷きにすると分かりやすい。 ただこの「定言命題」は「言葉」という地平だけで考えるとどうしても矛盾を生み出してしまいます。 「定言命題」を言葉で実行しようとすると「定言」ではなく「仮言命題」になってしまう。 言葉とは別の次元で考えないと「定言」
「どちらでもいい」 パウロが見つけた心の定め方です。 執着しないを実現する。 定言命題を実行する。 「どちらでもいい」 その心になる。 聖書はその冒頭、創世記で読者に課題を提供します。 極端な表現をすれば旧約聖書は読者に「問い」を投げかけます。 新約聖書はそれに答える。 そういうイメージです。 旧約聖書からの「問い」を新約・パウロの「答え」・「どちらでもいい」から解いていきましょう。 蛇に唆されたアダムとエバは、木の実を食べます。 これは誤りです。 ならば、どうすればよか