校長ブログ 2022年度入学式によせて
創世記1章1~3節
聖学院での生活が始まりました。
この聖学院はどんな学校なのか。
学校の名前にそれは表わされています。
「聖学」の院。
聖学とは聖人を生み出すことです。
聖人を育てる。
それが聖学院です。
聖人を今はOnly Oneと表わしています。
Only Oneを私たちは「本当の私」と翻訳しています。
「本当の私」と出会う。
聖学院で経験してほしいことです。
本当の私と出会う。
そのために私たちが考えなければならないことは何か。
それを今、読んだ聖書からひも解いていきたいと思います。
創世記1章。
これは聖書の一番最初です。
神様が世界を造った様子を記しています。
私たち聖学院はこの物語を信じています。
ただ、それはいつどこで、これが起こった、それを信じると言っているのではありません。
聖学院が信じているもの。
この物語を丁寧に読むことからお話しします。
神様が世界を造ります。
その世界は最初、真っ暗でした。
混沌と言われています。
秩序も何もない、ぐちゃぐちゃの状態なのでしょう。
「神の霊が水の面を動いていた」とあります。
聖書はもともとはヘブライ語で書かれていました。
そのヘブライ語では「神の霊」は「強い風」とも翻訳できます。
水の上を強い風が吹き荒れていた。
どこにも安心できるところがないかの状態です。
そこに神様が「光あれ」と言います。
すると光が誕生します。
この物語をもう少し先まで読んでいくと、太陽や月、私たちが普通に連想する明るさを持っているものはもっとあとになってから造られています。
ですから神様が最初に造った「光」は太陽に代表されるような明るさを持ったものとは違います。
ならばここで語られた「光」とは一体なんなのでしょうか。
ここで語られた「光」は闇の中で輝くもの。
闇とまったく違うものです。
希望、力、秩序、正義、真理。
光にはそういうものが込められていると思います。
その光を神様が最初に造った。
ということは、この後に世界に誕生してくるもの、造られたものはこの光と関係している。
光のもとで造られたもの。
光を宿しているものです。
光はどこにあるのか。
世界の底の底にある。
この世界にあるものは必ず光を宿している。
光はどこにあるのか。
あなたの中に
わたしの中にあるのです。
私たち聖学院はそれを信じています。
私たちは神から「光」をいただいたものです。
希望を、力を、正義を、真理を
私たちは宿しています。
ただ、それは何もしなくても見つけられるというものではありません。
自分としっかり向き合わなければ見つけられないものです。
そして、その光は一人ひとりきっと違います。
他の人と違う光。
本当の私の光。
Only One
その光に気が付いたもの。
その光を大切にする者が聖人です。
聖学の院
聖学院は自分の光を見つけ輝かせるところです。
聖学院の生活が始まりました。
光に向かって進んでいきましょう。