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校長ブログ

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聖学院HPで連載中の校長ブログをまとめています。ぜひご覧ください。 https://www.seigakuin.ed.jp/news_cat/blogs/
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#賜物

【伊藤校長ブログ】イエス様の「12」弟子(5月18日全校礼拝にて)

新約聖書使徒言行録 1章12~26節 大切なものを失った。 自分の仲間。 自分自身の何か。 大切…

【伊藤校長ブログ】神様の言葉はどこにでもある(4月18日全校礼拝にて)

新約聖書マタイによる福音書 4章1~4節 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導…

【伊藤校長ブログ】【入学式メッセージ】聖学院が信じる世界

「我は君が学園を聖学院と名付けた。 その意義は聖なる学院にあらず。 聖學の院である。 聖學…

校長ブログ 神様は私たちを期待しています(11月30日全校礼拝にて)

今日は高校3年生にとっては毎朝の礼拝としては最後の全校礼拝になります。 その礼拝で特に3…

校長ブログ 「迷い出た羊」から、自分にしがみつく自分に気づく(11月12日全校礼拝に…

一人くらいいなくなっても良いだろう。 あいつがおかしいのだから、仲間でなくても良いだろう…

校長ブログ 【創立記念礼拝メッセージ】イエス様とペテロの問答から聖学院創立を考え…

116年目の創立記念日を迎えました。 今年は、イエス様とペテロのやり取りから聖学院の創立につ…

校長ブログ 自分をつまずかせる「手」「足」「目」を切り離す(10月29日全校礼拝にて)

「手」「足」が自分をつまずかせるなら、それを切り落とせ。 「目」が自分をつまずかせるなら、それをえぐり出せ。 体の一部を失っても、命にあずかる方が良い。 もちろんこれは比喩ですが、とても厳しいイエス様の言葉です。 この言葉が私たちに伝えたいと思っているものはなんでしょうか。 「つまずき」 行こうとしてる者を阻む。 進もうとしているものを倒す。 そのような意味でしょう。 イエス様は人をつまずかせるものは深い海に沈められる方が良い、と言います。 極端な言い方ですが、意味は分

校長ブログ 何が起ころうとしているのか。

2011年。震災、津波、メルトダウン。 2020年。新型コロナウィルス蔓延。 2022年。ロシア、ウク…

校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第24回

時空とは仮言命題です。 他のものと比較、依存して、時間も空間も成立します。 更にヨハネ福音…

校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第23回

I am 何にもすがらない「私」 私は私 対称性 何やら分かるような、分からないような話が続い…

校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第21回

I am に込められたヨハネの思いはどのようなものなのか。 前回からの続きなります。 am に続…

校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第20回

このシリーズの投稿が少し時間が空きました。 年度の始め、なかなか執筆にとりかかれないでい…

校長ブログ 2022年度入学式によせて

創世記1章1~3節 聖学院での生活が始まりました。 この聖学院はどんな学校なのか。 学校の…

校長ブログ 【シリーズ:聖書の思考回路】第19回

ヨハネ福音書を記した作者は定言命題の実践を解いている。 Only Oneを見つけるヒントを語っている。 どこにそれがあるのか。 私たちがこれから行う作業です。 さっそくヨハネの言葉から考えることにいたしましょう。 ヨハネ福音書の始まりを見てみます。 「はじめに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」 「言」という独特の表現が出てきます。 ヨハネ福音書はギリシャ語で記されています。 「言」となっているものは「ロゴス」と原文では表わされています。 ギリシャ語の