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校長ブログ 「迷い出た羊」から、自分にしがみつく自分に気づく(11月12日全校礼拝にて)

「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、彼らの天使たちは天でいつも私の天の父の御顔を仰いでいるのである。あなたがたはどう思うか。ある人が羊を百匹持っていて、その一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た一匹を捜しに行かないだろうか。はっきり言っておくが、もし、それを見つけたら、迷わずにいた九十九匹より、その一匹のことを喜ぶだろう。そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心でなはない。」

新約聖書マタイによる福音書18章10~14節

一人くらいいなくなっても良いだろう。
あいつがおかしいのだから、仲間でなくても良いだろう。

別れても良い。
私たちは、そう考えます。

イエス様が語った「百匹の羊」のたとえ話。
一匹が迷い出たら、飼い主はその一匹を捜し回る。
見つかったら大喜びをする。
神様はそうなんだよ、と言います。

一人も欠けない。
ひとつになる。

これが難しいことを私たちは知っています。
どうして難しいのか。
聞く耳を持たないものがいるから。
自分が正しいと信じ込んでいるものがいるから。
そういうものとは話しても無駄。
一緒になれない。
ひとつになれない。

でも、どうなのでしょうか。
聞く耳を持っていないのは、その人だけでしょうか。
自分が正しいと信じ込んでいるのは、その人だけでしょうか。
私は?
自分はどうでしょうか?

多分、同じなのです。
私も聞く耳を持っていないし、自分が正しいと信じ込んでいます。

どうしてそんなことになるのか。

自分に自分がしがみつくからでしょう。
私は、私が守らなきゃならない。
私の正しさは私が守る。
自分を守ろうとします。

迷い出た羊。
こうした方が良い。
あそこに行けば良い。
自分にしがみついて群れから離れていったのでしょう。
その羊を羊飼いは捜しています。
捜して、元の場所へ、羊がちゃんと生きられる所へと羊飼いは連れていきます。
羊は自分で頑張らなくても良いのです。

自分にしがみつくことがOnly Oneではありません。
必ず行けるところに行ける。
私には、その力がもともと備わっている。
力を抜いて、抜いた時に見える自分を大切にする。
それがOnly Oneです。

聞く耳を持たない者がいる。
自分を正しいと信じ込んでいるものがいる。
その者をどうしようか?
戦おうか、追い出そうか。
そう考え始めると自分が見えなくなります。
Only Oneが曇ってきます。

自分のすることは自分を磨くこと。
他者をどうこうすることではありません。
その他者も自分とひとつになれる。
それを信じる。
自分の使命を信じる。
もしかしたら私が迷える羊なのかもしれません。
私にできることは自分のことだけです。
人の考え、心を私が変えることなどできるはずがありません。
私のできることを私がする。
そうして羊たちはいるべきところに集まっていくのでしょう。
今日の私がしなくてはならないこと。
それをしっかり果たしましょう。
私たちが一つになるために。

聖学院中学校・高等学校
中高一貫教育を提供する私立男子中学校・高等学校。
聖学院は、一人ひとりが神からかけがえのない賜物を与えられているという確信に基づき、それぞれ固有な賜物を発見することを助け、個人の人格の完成へ導く教育をします。聖学院教育はナンバーワン教育ではなく、オンリーワン教育であり、そしてそれはオンリーワン・フォー・アザーズ(他者のために生きる個人)の教育です。

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