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校長ブログ Virtual と Real? 後編

前編は以下のリンクから!

聖書の授業でなぜ「Virtual」と「Real」というものを扱っているのか。これは聖書を読む上で、また聖学院のモットーであるOnly Oneを考える上で大切だと思っているからです。

前回のブログを前提に始めます。
森を散歩しているAさんは自分の現実認識が他の人たちとあまりに違うのでおそらく愕然としたことでしょう。ただどうなのでしょうか。この後、Aさんが散歩を続けて、また別の人と挨拶を交わし続けていく。その相手が皆Aさんと同じような現実理解だったしたらAさんの愕然とした気持ちは恐らく解消されていくでしょう。始めは自分の思い込み、Virtualと思っていたものが実は間違っていなかった。正しかった。そう思い始めるときっと自信にもなるでしょう。私が感じたものは「Virtualではない」「Realだ」と。

Aさんが「自分の感じたことはRealだ」と思う根拠になったものはなんでしょうか。言うまでもありません。同じ感想を持つ人との出会いです。すなはち「反復」です。

ただAさんがいくら「Real」との実感を持ったとしても「脳」で処理された現実理解との本質は変わっていません。ですからVirtualであるという事実はなんら変わってはいないのです。それでもVirtual感が薄れ、Realだとの確信が強まる。それを作り出してくれるものが「反復」です。

聖書、宗教は特にこのことに慎重でなければならないと思っています。宗教が大切にする「神」。これはなんの証明もできないのですから、いつでも思い込み、Virtualとの指摘から逃れることはできません。ところがここに「反復」が加わると途端に「絶対の真実」というような自信がみなぎってきます。
「反復」が得られた。みんなが言っている。伝統となっている。それを根拠に「神」を語って良いのでしょうか。
ただ、これは聖書、宗教だけの事柄ではないでしょう。おおよその学問、スポーツ、芸術も弁えているはずです。今「正論」と言われているもの、「真実」と言われているものは、時代と共に変化していく、新しい発見があれば、すぐに取って代わられ「間違い」とのレッテルを貼られる可能性がある。

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